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6月の月例御朱印授与日は4日(土)5日(日)です。


蛙鳴是仏声(あめいこれぶっしょう)

蛙鳴蝉噪是仏声(あめいせんそうこれぶっしょう)という言葉がございます。ゲコゲコとなくカエル、ミンミンと喧しい蝉、美しい声とはお世辞にも言えない生き物です。しかしその声を嫌う心はもっと醜い。精一杯生きるために鳴いている真剣な姿を蔑む心は美しいとは言えません。「カエルや蝉の声が喧しい」と思うのではなく「一生懸命鳴いているな」と思える心が仏の心と言えるのです。


潤乾坤(けんこんうるおす)

「一滴乾坤を潤す」一滴の水が天地を潤す様の言葉です。

一粒の水が世界を潤すわけがない。確かにそうかもしれんません。

しかしこんな話があります。

江戸時代の農政家として有名な大原幽学は松尾寺で提宗和尚に教えを賜わります。宗教に対して並々ならぬ関心があった幽学は多くの教えを納得できず、仏教の教えを教わるため提宗和尚を訪ねました。

するといきなり米を研がされます。小間使いされている気になりながら研ぎ終わると提宗和尚に烈火のごとく怒られます。

「お前の腐った根性を見せてやるからそろばんをとってこい」そう提宗和尚に言われ一粒の米から24の芽が出て、更に24の芽が育つと24本の稲になり、一つの稲から300の米粒が取れることを説かれます。「24の稲からとれる米粒は一合4勺の米に価する、その米粒全てを翌年すべて撒いたらどうなる?更にそこから収穫された米を撒けばどうなる?」幽学がオロオロしていると「米一粒であれ、ただで生まれてくるわけがないだろう!その米粒の一つ一つに愛情を注いでいる百姓を見てきたのではないのか!そんなことも分からんお前が偉そうに宗教を納得できないなど聞いて呆れる!」

いかがでしょう?一粒の水であれ、米粒であれ扱う心があれば無限の可能性がある。その可能性が世界を潤すのです。

結果自然成(けっかじねんとなる)

一華開五葉 結果自然成(いっかごようをひらき けっかじねんとなる)

お釈迦様が興した仏教はインドから中国、朝鮮半島を経て日本へ、今では世界中に知られる宗教となりました。花開けば自然の流れで枯れ、種を結び、新たな命が芽吹く。当たり前ではありますがその流れは我々人間でも同じです。ご先祖様が繋いだ命を今頂戴して生きている。素の尊さを理解して己の命が尽きるその日まで精進することが大切なのです。




庭の新緑が美しい時期となりました。お寺に来て、ゆっくりと眺めていただきたいと思います。

5月の直書き御朱印は5月7日(土)8日(日)です。


明月払清風(明月清風を払う)

「清風明月を払い、名月清風を払う」

清らかな風が明月を払い清め、明月の明かりが清風を清めるという意味の言葉です。

互いに作用しあって素晴らしい情景が完成している。互いを認め合う心の大切さをこの言葉から感じずにはいられません。参拝していただく方に

「いつもありがとうございます」

と声をかけていただくのですが、我々こそ

「いつもありがとうございます」

なのです。お寺はそこに訪れていただく方がいるからこそ市井に存在する意義があります。皆様の生活や存在もそうです。本当の意味での「お陰様」と向き合う時間を持ちましょう。


一喝

悟りを得させるための叱咤や、大声で叱りつけることと辞典を引けば出てきます。叱咤とは大声をあげて叱る、叱って励ますという事ですが「一喝」はその限りではありません。

昨今は「優しく育てる教育」という言葉がひとり歩きしていると感じます。優しさとは一体何なのか?丸い言葉や柔らかい物腰ですか?甚だ疑問です。真剣に向き合うからこそ出る働きがあるのではないでしょうか?真剣に向き合うからこそ出る働きが「一喝」という言葉に集約しているのです。相手を思うからこそ出来る行為はその行為に責任が出ます。自身がどう思われようと真剣な働きに相手が心打たれるのはそこに相手の責任を感じるからです。

厳しくも優しい、そんな経験は誰しもあるのではないでしょうか?今の人たちはそのような「一喝」に飢えているのではないでしょうか?


明歴々露堂々

はっきりとしている、隠すこともない様子という意味の言葉です。色々なことに振り回される私たち、自分自身が見たこと以外で見たような気持になっていることはありませんか?ジブリアニメで「もののけ姫」という作品があることは皆さんご存じでしょう。主人公のアシタカが「曇りなき眼で見定める」と言うシーンがあります。私は修行道場に行く前と、行った後でこの言葉の深みを感じずにいられませんでした。実際にその場所に行ったり、人に会ったりすることの大切さ、現代人が大切にするべきことは「五感」ではないでしょうか。


「人は生まれてから最初の10年は己の事だけ考える。 そして、次の10年は家族の事を考える。 20歳になってからの10年は生まれた故郷の事を考える。 30歳になったら日本の事を考え、 40歳になったら世界の事を考えるようになる」

大河ドラマ「新撰組!」で、佐久間象山が後の新撰組局長となる近藤勇に次のように語ります。史実であったかは定かではなく、脚本家の三谷幸喜さんの象山に対する思いが現れた言葉であると推察いたします。

また同大河ドラマでは、象山が暗殺される直前、新選組局長になった近藤勇が自身の在り方に疑問を持って悩みを打ち明けるシーンでは、象山が「自分の心に誠があれば迷わず進め」と返します。

人は誰かに支えられ、年相応に経験を積み、研鑽を重ね、目の前の壁を乗り越えるための体力づくりをします。人生に飛び級無し。個人差はあれど段階を経て大人になり、お世話になった人々、自身を成長させてくれた人々、影響を与えた人々に御恩返しをしていきながら人生を歩むのです。

振り返れば道があり、人生がある。後ろを見る、足元をしっかりと照らす自分も大切です。明日は今日を生きたものにしか訪れません。「莫妄想」妄想することなかれという言葉がありますが、大切な今を我々は軽視してはなりません。

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