2020年9月24日10月の月例御朱印授与のご案内です 10月3日(土)4日(日)は月例御朱印授与となります。 10月5日は禅宗の祖、達磨大師のご命日にあたり達磨さんの教え一色の御朱印といたしました。「無功徳」 前漢の第7代皇帝、武帝と達磨大師が交わした問答での達磨大師の一喝。 立派な寺院を建て、多くのお経を写し、多くの僧尼を供養した私にどのような功徳があるか。そう尋ねた武帝に対し達磨大師はただ一言「無い」そう言い放ったこの一喝。 自身がやると決めてしたことに世間体を気にするのか?己が決めて行ったことだろう。功徳など求めてすることではない。時の皇帝に痛快な答えを示しました。 「不立文字」 仏の教えを数多聞くことはありますが、大切なのはその教えを実践し、己の五感で体験し、体得する事。頭でっかちな現代人にも達磨大師は有難い一喝を授けてくださいます。 禅寺にお越しいただくからには少しでも禅の教えに触れていただきたい、10月もそんな御朱印にいたします。
10月3日(土)4日(日)は月例御朱印授与となります。 10月5日は禅宗の祖、達磨大師のご命日にあたり達磨さんの教え一色の御朱印といたしました。「無功徳」 前漢の第7代皇帝、武帝と達磨大師が交わした問答での達磨大師の一喝。 立派な寺院を建て、多くのお経を写し、多くの僧尼を供養した私にどのような功徳があるか。そう尋ねた武帝に対し達磨大師はただ一言「無い」そう言い放ったこの一喝。 自身がやると決めてしたことに世間体を気にするのか?己が決めて行ったことだろう。功徳など求めてすることではない。時の皇帝に痛快な答えを示しました。 「不立文字」 仏の教えを数多聞くことはありますが、大切なのはその教えを実践し、己の五感で体験し、体得する事。頭でっかちな現代人にも達磨大師は有難い一喝を授けてくださいます。 禅寺にお越しいただくからには少しでも禅の教えに触れていただきたい、10月もそんな御朱印にいたします。
2020年9月17日優しさとは何か?「優しさとは物腰の柔らかさ、微笑み、認めてあげる事、褒める事。」こういったものが優しさと思われている時代ではないかと感じます。上っ面だけで、なれ合いで、美辞麗句でしかありません。厳しさも優しさの一つであります。人間だれしもいい加減にやり過ごす時がある。その時に鋭く指摘する事も優しさです。批判的な意見と向き合う力が今の方にはあまりないのではないでしょうか。「出来ていない事よりも出来ていることを見つけて、褒めて伸ばす。」これは現実に目を背けることです。「出来ていないことは出来ていない」それが紛うこと無き事実です。良いところだけを取り上げること、それは優しさではなく無責任で、相手に嫌われたくない身勝手な行いです。良いものは良い、悪いものは悪い。それをはっきりと指摘することが優しさでは無いでしょうか。「中道」という考え方。間を取るわけではありません。時には厳しく、時には優しく、時に情熱的に、時に冷静に。こういった感情が私情に流されず存分に発揮できることです。良くも悪くも多くの経験をし、その度成功と失敗を繰り返し今を生きる。お子さん、友人、信頼するパートナー、部下、そういった有難い人々を思うなら優しさとは何なのか、目をかっぴらいて見つめていかなければなりません。
「優しさとは物腰の柔らかさ、微笑み、認めてあげる事、褒める事。」こういったものが優しさと思われている時代ではないかと感じます。上っ面だけで、なれ合いで、美辞麗句でしかありません。厳しさも優しさの一つであります。人間だれしもいい加減にやり過ごす時がある。その時に鋭く指摘する事も優しさです。批判的な意見と向き合う力が今の方にはあまりないのではないでしょうか。「出来ていない事よりも出来ていることを見つけて、褒めて伸ばす。」これは現実に目を背けることです。「出来ていないことは出来ていない」それが紛うこと無き事実です。良いところだけを取り上げること、それは優しさではなく無責任で、相手に嫌われたくない身勝手な行いです。良いものは良い、悪いものは悪い。それをはっきりと指摘することが優しさでは無いでしょうか。「中道」という考え方。間を取るわけではありません。時には厳しく、時には優しく、時に情熱的に、時に冷静に。こういった感情が私情に流されず存分に発揮できることです。良くも悪くも多くの経験をし、その度成功と失敗を繰り返し今を生きる。お子さん、友人、信頼するパートナー、部下、そういった有難い人々を思うなら優しさとは何なのか、目をかっぴらいて見つめていかなければなりません。