2021年10月1日あるがままでつらつらやわらか寺報 あるがままでつらつら苦手なパソコン作業。何とか形になりました。ゆるーく禅問答は横に添えてあるQRコードを読み取っていただきまして、お問い合わせに皆さんのお答えを送付していただければ副住職がお返事させていただきます。ゆるっと養徳院の取り組みを書いています。ゆるっと禅を知ってください。
やわらか寺報 あるがままでつらつら苦手なパソコン作業。何とか形になりました。ゆるーく禅問答は横に添えてあるQRコードを読み取っていただきまして、お問い合わせに皆さんのお答えを送付していただければ副住職がお返事させていただきます。ゆるっと養徳院の取り組みを書いています。ゆるっと禅を知ってください。
2021年9月28日10月月例直書き御朱印のご案内緊急事態宣言の解除を受けて月例直書き御朱印の授与を再開いたします。10月2日(土)3日(日)のいずれも9時~16時までとさせていただきます。「吾心似秋月」(わがこころしゅうげつににたり)禅僧寒山の詩の一節です。秋の澄みきった空に浮かぶ月の如く私の心に一点の曇りもないというこの詩は、我々禅僧が常に持つべき心の有り様を説いています。自分が世界を見ていると思って見る景色、世界の一部に私がいると思って見る景色、この二つの違いは何でしょう?これが分かれば心が更に磨かれるはずです。「不識」(ふしき)10月5日は達磨大師の御命日です。達磨大師は武帝との問答で完膚なきまでに武帝を喝破した挙げ句、あなたは何者か?と訪ねる武帝にただ一言「不識」と達磨大師は仰いました。「知らん!」と仰ったのです。自分が向き合い、どう思うかが相手そのものであるのにまだ聞くか。鋭い達磨大師の一言です。我々はしっかりと見ているのか?正に核心を突く一言です。「紅葉舞秋風」(こうようあきかぜにまう)月替わり禅語御朱印のこの言葉は10月にぴったりの言葉かと思います。大自然の妙景に気付きがある。秋風に舞う葉っぱを見れば秋を感じ、その肌寒くなった風を感じればやがて来る冬の訪れを感じます。五感を研ぎ澄ますことこそ今を生きる我々が求められていることではないでしょうか?
緊急事態宣言の解除を受けて月例直書き御朱印の授与を再開いたします。10月2日(土)3日(日)のいずれも9時~16時までとさせていただきます。「吾心似秋月」(わがこころしゅうげつににたり)禅僧寒山の詩の一節です。秋の澄みきった空に浮かぶ月の如く私の心に一点の曇りもないというこの詩は、我々禅僧が常に持つべき心の有り様を説いています。自分が世界を見ていると思って見る景色、世界の一部に私がいると思って見る景色、この二つの違いは何でしょう?これが分かれば心が更に磨かれるはずです。「不識」(ふしき)10月5日は達磨大師の御命日です。達磨大師は武帝との問答で完膚なきまでに武帝を喝破した挙げ句、あなたは何者か?と訪ねる武帝にただ一言「不識」と達磨大師は仰いました。「知らん!」と仰ったのです。自分が向き合い、どう思うかが相手そのものであるのにまだ聞くか。鋭い達磨大師の一言です。我々はしっかりと見ているのか?正に核心を突く一言です。「紅葉舞秋風」(こうようあきかぜにまう)月替わり禅語御朱印のこの言葉は10月にぴったりの言葉かと思います。大自然の妙景に気付きがある。秋風に舞う葉っぱを見れば秋を感じ、その肌寒くなった風を感じればやがて来る冬の訪れを感じます。五感を研ぎ澄ますことこそ今を生きる我々が求められていることではないでしょうか?
2021年9月27日令和3年度秋期彼岸会のご報告 五感とは本当に有難く、自身を養う素晴らしい感覚であります。実際に顔を合わせて、言葉を交わし、共にいる空気を感じる。多くの技術により会わずして顔や声を会わせることが可能な今ですが、何かが欠けていると思うのはそこにあるのではないでしょうか? 人と人が向き合うということは一長一短にはまいりません。面倒もたくさんありますが、その面倒を人の手が離れた機械に任せた結果、心を養うことを現代に生きる我々は精進しなくなっているのです。どのように優れた技術や道具であっても使い手の心ひとつで用途は大きく異なります。 かつてダイナマイトが戦争に使われ、人間の強欲にアルフレッド・ノーベルは深い悲しみを覚えました。新しい発明、技術を欲望のままに使っていませんか?僧侶である我々も胸に手を当ててみると思い当たる節があり反省しなければなりません。 今こそ様々な道具・技術を如何にして用いるのか、しっかり向き合っていくためにも心を養うことが大切であると彼岸会を通じて強く感じた次第でございます。皆様におかれましてもどうかお体を大切になさって、心を養う毎日をご精進下さいませ。
五感とは本当に有難く、自身を養う素晴らしい感覚であります。実際に顔を合わせて、言葉を交わし、共にいる空気を感じる。多くの技術により会わずして顔や声を会わせることが可能な今ですが、何かが欠けていると思うのはそこにあるのではないでしょうか? 人と人が向き合うということは一長一短にはまいりません。面倒もたくさんありますが、その面倒を人の手が離れた機械に任せた結果、心を養うことを現代に生きる我々は精進しなくなっているのです。どのように優れた技術や道具であっても使い手の心ひとつで用途は大きく異なります。 かつてダイナマイトが戦争に使われ、人間の強欲にアルフレッド・ノーベルは深い悲しみを覚えました。新しい発明、技術を欲望のままに使っていませんか?僧侶である我々も胸に手を当ててみると思い当たる節があり反省しなければなりません。 今こそ様々な道具・技術を如何にして用いるのか、しっかり向き合っていくためにも心を養うことが大切であると彼岸会を通じて強く感じた次第でございます。皆様におかれましてもどうかお体を大切になさって、心を養う毎日をご精進下さいませ。