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滅却心頭火自涼(しんとうめっきゃくすれば、ひもおのずからすずし)

「風林火山」で有名な甲斐の武田信玄が帰依した僧、恵林寺の快川禅師が炎に包まれる山門の上で弟子と共に焼き殺されんとした当にその時言ったとされる言葉で有名です。実は中国の後梁の時代(六世紀)の詩人に杜筍鶴(とじゅんかく)という詩人がおり、彼の詩「夏日、悟空上人の院に題す」という詩が元です。


三伏門(さんぷくもん)を閉ざして一衲(いちのう)を披す

兼ねて松竹の房廊(ぼうろう)を蔭う無し

安禅(あんぜん)は必ずしも山水を須いず

心中を滅得(めつとく)すれば火も自ら涼し


夏の暑いまっさかりに、悟空上人という方は相変わらず一枚の破れ衣をキチンと身に着けて坐禅をしておられます。しかも炎熱を避ける一株の松も一本の竹もない、まったくの炎天下と同様です。この方を見ていると、坐禅をするのに静かな山中か水辺に居を求める必要はなさそうです。上人のように心頭を滅却し寒熱を超越された方は、暑さに心を煩わずらわされることもなく、炎熱もまた楽しといった様子です。

自身がしたいことをするためにより良い環境、また最適なタイミング、必要な道具をそろえてからではないと準備が整っておらず、心もとなく感じることがあるのではないでしょうか?

「どのような厳しい状況でも心に決めればそこが本番、己の都合に言い訳などもってのほか、超越した人は状況に左右される事無く清々しく生きている。」

我々は失敗の原因を時代や他人などという環境にあると訴えてしまいがちです。自分の思い通りにならない原因は自分にあるのにも関わらず他人のせいにしてしまいがちです。そんな時少しでもいいから自身に問いかけてください「甘えは無かったか?」と。自身にどうしても甘くなるのが人間の性分だからこそこの言葉は我々に気付きを与えてくれます。


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