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五感を研ぎ澄まし、自己を知る



「禅とは何ですか?」

禅の世界に興味を持たれた方のほとんどが真っ先にこう聞いてこられます。

禅の心を知りたい、養いたい、その気持ちは痛いほど伝わりますがあえて私はその人の為に根掘り葉掘りお伝えいたしません。

「禅とは心」

すなわち、私たちが持つ心が禅なのです。

「自分のことは自分が一番よくわかっている」よく皆さん言いませんか?

ならば申し上げることは何もありません。我々で言う「禅機(心)」を育まれた方に言うことは無いのですから。

若造が憎たらしい言い方をしました、申し訳ありません。ですが人間というものは口ではそういっても、本当の所、何もわかっていないことが山ほどあります。自己紹介されるとき、私は何歳で、何が得意で、何をしていて…。とお話されるでしょうが、それで何が分るでしょう?皆様がなさる自己紹介は自分の見た目や、なさっている事などをただただ述べているだけで自分が何者かを語るものではありません。

「自分は何者なのか?」

自己と向き合うために一番必要なことは自分の五感を頼りに物事を見つめる力です。

今の世の中、様々な規則・規範があります。それらを守りながら我々日々を生きているわけですがその決まり事の真意を一体どれだけの人が理解して守っているでしょうか?盲目的に皆が守っているから守っている、という人も多くおられることと思います。

禅宗では自分でとことん疑い、信じ、突き進む「大疑団・大信根・大憤志」という言葉がございます。当たり前はなぜ当たり前なのか、なぜ自分はこの道を進もうとしたのか、自己に問い続けることで答えを導き出すのです。

坐禅はそういった自問自答する中で落ち着かなくなる自分を静かに整えるために行う瞑想法です。姿勢を調え、呼吸を調え、静かに坐る、ただただ坐る。自分の五感を通じて感じるものしか周りにはない。誰かの指示や、決まり事に影響を受ける事無く、自分が感じるものが全ての世界。そこで気付くことを大切にする。そしてその経験を日常に反映して生きていく。

「動中(どうちゅう)の工夫は静中(せいちゅう)に勝ること百千億倍す」

日々の生活(動中)と、坐禅のひと時(静中)はお互いを反映しあって活用すべし、動中と静中を別々にとらえるのではなく、互いに繋がっていてそのことを理解した時、初めて心が調うのです。

現在、コロナ・ウイルスや天災によって多くの人々が苦しみを抱えて生きておられます。静かなひと時を過ごすことで、日ごろの煩わしさを払拭しようとするのではなく、静かなひと時で感じた自身の経験を、日常に活かすことで真の心の安らぎを探して生きていきましょう。

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